サイトアイコン トランペット吹き、とつぜん乳がんに。

27、マルの『シリアス人生』独り言。パート1。

マルの『シリアス人生』独り言。パート1。

 

いや、今回の乳がん騒動で、なんだかまた人生の色んな事を考え直す岐路に立たされた。

 

結構、マルの人生に関わる色んな場面で、人生仕切り直しのように色んな事が起こる。今回も「乳がん」に乗っかって、結構な衝撃的案件が舞い込んできた。

 

とりあえず、12年サイクルで遡ってみると・・・

2017 43歳 乳がん発覚 ←コレにより人生の岐路ありナウ

2005 31歳 大切な友人の死、結婚にまつわる決断あり。人生の岐路あり

1993 19歳 音楽大学の合格!人生の岐路あり

1981 7歳 小学2年。ポッチャリさんになり始める。人生の岐路あり?(笑)

1973 誕生 人生の始まり。

今から12歳ずつ引いて行くと、こんな感じ。

最後は8年しか開いてないけどそれはまあ・・しょうがない。←(テキトー!)

改めて、自分でも『すごいね』と思った。面白い。

 

今回、この入院で、自分が忘れかけていた大切な事を少し思い出した。

 

じっくりと考える時間は腐るほどあった。ホント、腐るほど。

 

私は結婚するまで、自分の『想い』を大切に生きて来た。

自由に考え、自由に動いていた。一言でいうとマジ『自由人』

 

行きたい大学に行かせてもらえ、行きたい国に行き、会いたい人に会って来た。だから、思考も自由だった。・・・最近はどうだろうか。

 

・・目に見えない何かに縛り付けられて、自由な発想が全然なされていなかった。

 

自由に振舞える事も無く、自由にできるお金もなく、必然的に自由に動けない。

 

周りを気にするばかりに、自分の感情や幸福はいつも後回し。

自分の感情や幸福はいつも後回し・・

自分の感情や幸福はいつも後回し・・

ジブンノカンジョウヤ・・・

 

・・・これで良いのかな・・・

 

こうしてずっと、自分の感情や幸福を後回しにしたまま私は死んでゆくのであろうか。

 

そんなんで、私の希望の最後の一言

 

『ああ!楽しい人生だった』と終われるの?

 

私は、人生の最期の瞬間に、この一言を言うのが目標だったはず。

 

今すぐ『死』が隣にいるとしたら、今の私にはその言葉を言う自信がない。

 

独身の頃の私にはあった。

 

今すぐに『死』が隣に来ても『ああ!楽しい人生だった』

って言いきれる自分が、あの頃には確実に居た。

 

あの頃は『充実した生』と、『充実した死』を目標にしていた。

 

今まで思っていた、『結婚したから当たり前』という考え方、

多分、勝手な固定観念。自分を意味のない枠にはめる。。

 

それが『なんで?』って疑問に思えだした時間だった。

 

結婚したら、自分の幸福を後回しにするものなの??と。

 

多分、違う。。。

 

幸いにして『今は』生きている。

 

しかし、今年の2017年2月の下旬の悪性疑いが出た時には、

私は確実に『死』を意識した。

 

意識せざるを得ないがんという名前の病気だから。

 

早期発見だったから『今』は助かった。

 

でも、最初に5mmと言われていた病変は、後の精密検査で1.2cmとなり、

更に離れた部分にも8mmのものがあり、その間の乳管をダラダラと這うように5cm程、癌細胞があるという診断となった。

 

詳しく調べれば調べるほど

その姿は鮮明に、大きく現れた。

 

最初のマンモの小さな病巣に気付かれず、2年間放置していたら、

私の命の運命は確実に変わっていたと思う。

 

そう考えると、一度死んだと思って、人生仕切り直すのに

いい機会かもしれないとも思える。

 

久し振りに思い出した。

 

20代の頃のある日、海外に消えて居なくなった、兄貴のようだった大学の先輩が

 

私が大学卒業後、進むべき道を見失ったときに

 

『マルが歩んでいく人生に間違いなんてないと思うよ。

そして、万が一、自分でその道が違うと思ったら、

違うと思ったその時点で元に戻ればいいだけなんじゃない?間違いなんて、一つもない。』

 

って言ってくれたのを。

 

そうだよ、違うと思ったら戻れば良かったんだよ。それ以来、そうやってきたじゃない。ずっと。

 

今の私には、20代の頃と違って守りたい大切なものがある。

 

でも反対に、全くそうじゃなくなったものもある。

 

もっと、昔のように自由な発想で、人生を歩んで行っても良いんじゃないかな?って思え始めた。

 

きっと『正しい人生』『正解の人生』というものは

死ぬ瞬間に振り返った時に

そのような答えは無いような気がする。

 

結局は出来ない答え合わせの為に、

犠牲にするものは何もないはずだ・・

 

残った人生、与えられた人生は、自分後悔のないよう

過ごして行けたら、と思う。

 

私は本当はやりたい事がまだゴマンとある。

 

行きたい国もある。帰りたい国もある。やりたい音楽もまだまだある。

 

何でやりたい事がやれないの?誰の為に生きているの?

 

私の今の幸せは何?何に冷めたの?何をやりたくなくて、何をやりたいの?

 

入院中、考えに考える時間はある。腐るほど。

 

答えが現れそうなのに、もう少しでその姿が見えそうな所で姿を見せずに煙のように消える。

 

必ず、その答えは見つけ出してやる。

必ず、この手で。

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