トランペット吹き、とつぜん乳がんに。

マルの『シリアス人生独り言』パート2

 

マルの『シリアス人生独り言』パート2

 

・・さて、癌という病気を告知された人間にしか分からない『恐怖心』というのは確実にある。

 

それは、ステージ1だろうが4だろうが、告知された時の恐怖心は変わらない。

 

だって『ステージ』とは、1つの「医学的目安」であるだけだと、頭のどこかで分かってるから。

 

まあでも、とりあえずは一応の目安をもって治療に臨んだりは出来る。

 

自分の細胞が作り出した悪性腫瘍は、正確には自分のどこにどこまで潜んでいるのか皆目見当がつかない。

 

そいつが最初、どこに潜んでいようが

全然、痛くないからね。

 

先ずは『がん』だという事実を知らされる。

細胞診や生検からの検査の結果を受けて


それが本当はどれだけ悪性度が高いかも、よく分からない状態だから怖い。

 

とりあえず『がん』の『原発部』が分かるだけ。

 

その恐怖心とどう向き合えばいいのか、しばらく悩む。

 

これは、たとえ親であろうと配偶者であろうと恋人であろうと親友であろうと、共有できない

 

告知された当人にしか分からない『得体の知れない恐怖』みたいなものがある。

 

だけど、そんな自分のつらさを『誰も分ってくれない!』と悲観するのも違うと思う。

 

それは、20代の頃に、自身の生き方に悩み、

『この辛さ、誰も分ってくれない・・・』という思いをしたときに悩み抜いた時期があった。

 

そして、最終的に「誰も私自身になれるワケないんだから、自分のそのままの辛さを他人と共有できるワケがない」という境地に達した事がある。

 

なので『自身の辛さは誰とも共有できない』という事はもう既に分かっている。

 

そういう意味では、私は無駄に悲観する考え方を持たない人間だ。

 

・・・この『癌』という病気は

 

目の前の結果を見て、自分に課せられた治療を粛々とこなして行くしか、

自分の進んで行く道はない。

 

ただ、見間違えてはいけない。

 

色々言われているが、標準治療はやっぱりベストな選択だと思う。

 

なんせ、病巣部を切り取って除ける以外、危なくない方法はないと思う。

 

今ここで初めて、今の自分よりもっと若い時に癌で亡くなった

同い年だった 2人の友人の『希望』とか『絶望』を

自らの脳とカラダで味わっているのだと思った。

 

『一緒に頑張りたい』とか『力になりたい』とかはモチロン思ったが、

彼らの中に潜む『得体の知れない恐怖心』はその頃は分からなかった。

 

2人とも、最後まで希望を捨てずに頑張っていた。

 

あの時の彼らが持った『希望』を、今私は身をもって体験している。

 

 あの時に、彼らの分まで無駄なく生きようと誓った事も思い出す。

 

そんな事を考えながら、病室のベッドの上に寝転んで

窓から見える青空を見つめながら 先に旅だった友人に思いを馳せる日もあった。

 

『私の癌を、早期で教えてくれてありがとう』と感謝もしながら。

 

そして、1つ思う事。。。

 

がんの告知を受け、生と死を背中合わせに感じながら、その事実を受け止めて

この人生を歩んでいく私達『がん患者』 は、オペや治療の後、

今までの魂が浄化され、新しい魂で

ある意味 「新しい人生」 を創り始めるような気がしてなりません。

 

生と死を連想させるこの病気で、思い悩んだり覚悟を決める事で

ある種、達観したというか、

自分の魂が、今までのランクよりも1、2コ上に上がったんじゃない?

という不思議な感覚を持つ。

 

 自分の残りの人生がどうすれば充実して生きてゆけるか、

本当の意味で考えさせられる。

 

きれい事や、理想とかでは済まされない、本当の意味で。。

 

それから先はもう、惰性で生きてゆくのはもったいないと思い始める。

 

そう考えると、『なんとなく』とか『惰性』で生きて行くよりも、

100倍充実した人生が送れる事だろうと思う。

 

命に期限があるのは、生を受けているもの全員が同じ。

 

それを意識するかしないかによって、充実度は

確実に変わってくる。

 

目の前にあるのなら、どんどん新しい扉を開けてゆけば良いと思います。

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